Cross Road アジア雑貨のお店です A web shop for Asian goods
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ちょっと一息 / Have a break

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日本から一歩外にでればヤジキタの珍道中!皆様も経験があるのではないかと?
冷や汗をかくこともたまにありますが、後になると結構いい思い出になってませんでしょうか?
楽しんで頂ければと思い恥をさらしちゃいます!
タイトル 内容
どっちがどっち(電話編) 事務所で留守番中に突然の質問が!なんでそんなこと聞くの?
どっちがどっち(ゴルフ編) ゴルフ場であたふた、パットが入らない、キャディーさん助けて!
どっちがどっち(仕事編) 貫禄のない社用車の主、あ〜あ、情けない。
どっちがどっち(トイレ編)
真面目なう○こ、お○りのはなし
どっちがどっち(英語編)
タイ人と英語で会話。あ〜イライラ!
どっちがどっち(アメリカ編) 目の前に対向車が・・・
当店立ち上げの話 店長の自己満足のための話
あいさつ タイ人と中国系タイ人との違いのはなし
レオナルド・ダ・ヴィンチ いまでも不思議?白昼夢でも見たのだろうか?
サンデーマーケット ちょっと大げさに記したタイ最大のマーケットの様子
レストランにて 一人でそんなに食べれるわけないでしょう
ちょっと怖い話(1) なんだそばに来たの?会いたかった!住む世界を超えて!
ちょっと怖い話(2) だれもいないはずなんだけど?
タイ名物(1) いきなり銃を向けられHold up ! 夜間の外出は気をつけましょう!
タイ名物(2) 水の都でゆらゆら、あっ船じゃなくて車に乗ってたんだ!
タイ名物(3) 車の後部座席で一眠り、あれ!景色が変わってない!
タイの街角で(1) あなたはいったい何系、私は蝦夷系
タイの街角で(2) お赤飯のルーツを解明?
タイの街角で(3) 陽気なシーフードレストランのおやじ
タイ語考(1) タイ語で話しているのに何で通じないの?
タイ語考(2) 数字はアジア共通?タイと中国(客家)と日本は似てる
タイの中の外国人(華人編) タイ人と中国人は仲が良い?
タイの中の外国人(印僑編) インド人はシティーボーイ?(古い言葉だな・・・)
東南アジアとは 日本から見たら南西なのになぜ東南?
タンブン(お布施)について 功徳を積むには?
屋台(1) 最近は値切り交渉もほどほどに?
屋台(2) 定休日は日本のデパートと同じ水曜日
英語 英語といってもいろいろあって、それって食べれるの?
タイ料理(1) トムヤムクン、パクチーについて
変貌(1) タイの高度成長について
変貌(2) 赤いシャツと黄色いシャツ


どっちがどっち?(電話編)

私がまだ20代でバンコクに着任したてのころです。
タイ人スタッフが留守の時、電話が鳴ったのででたところ、タイ語で「どちらですか?」と聞かれました。

唐突にどちら?と聞かれても、いったいどう答えていいのかわからず、いたずら心もあったので
「どちらだと思いますか?」とタイ語で逆に質問しました。
そうしたら、電話の向こうのタイ人は、いったい何を質問するんだ?と言わんばかりのけげんな
様子でした。

そもそも、自分がダイアルして電話してるのに「どちらですか?」と質問するなど失礼なやつだ!
と思い、食事から戻ってきたタイ人スタッフに事の次第を説明すると、最近はそうでもないけど、
前は雨が降るとよく電話回線が混線したので、どこにかかるか分からないことがよくあった、
だから「どちらですか?」と聞くんだ、と教わった。

事情はのみこめたが日本人の感覚とは隔たりを感じた、タイではこれくらいの自己中心的な太い
神経がないとやって行けないのかな?と思った。

ちなみに私にそれを教えてくれたタイ人スタッフは希少な大卒で、デリケートで育ちの良い家庭の
子でしたが、彼女も「どちらですか?」とやってた。私にはちょっとシュールな光景に見えました。
おわり

どっちがどっち?(ゴルフ編

またまたバンコクに着任したての20代のころのことです。
休日は他の日本人の仕事仲間とゴルフをやってました。タイ語で「残り何ヤード?」、
「池はある?」といったカタコトの会話もキャディーさんとできるようになった。

残りの距離などは数字だけのことで、なんとかなったのですが、グリーン上ではそうも行きま
せんでした。ボールの曲がる方向がいつもキャディーさんと反対になってしまうのです。

ゴルフはタイに着任してから始めたので自分の目が間違っていると思ってたのですが、
どう考えても「逆だ!」というホールがありキャディーさんに問いつめたところ、「右?(に曲がるの
か)」との質問に対し「(そうです右に曲がります。だから)左!(に打ってください)」と答えたとのこと。

その後、ほとんどのキャディーさんは「曲がる方向」ではなく「打つ方向」を言っていることが
分かりました。

早とちりしないで、話はしっかりと最後まで聞くという基本は大事でした。 おしまい


どっちがどっち?(仕事編)

タイ人の正装、といっても背広にあたるものにサファリジャケットがあります。アフリカじゃないのに
なぜサファリなのか疑問ですが、当時周りの人はそう呼んでました。ちょっと厚手のワイシャツ+
スラックスの組み合わせで色はベージュが多かったと記憶してます。

郷に入ったら郷に従えではないけれど、私もタイ人と同じ格好をしようと思いました。しかし、
年のころ50歳くらいの私の運転手がやはりサファリジャケットを着ていた、もし私がサファリ
ジャケットを着たら身長は私と同じでお腹が出ている運転手と並んだら、当時20台後半の私の方
が貫禄負けしていまい、どっちが運転手か主人なのか分からなくなってしまうことに気がついた。

サファリジャケットを諦め、どこからみても外国人にしか見えないスーツを選んで着るように努め、
とりあえず表向きの体面を保とうとしたことはいうまでもありません。       お粗末。

当店立ち上げの話

いつものように晩酌をしながら、突然ネットで雑貨屋をはじめようと思い立ったのはワールドカップ
が日韓共同で開催された年(2002年)の1月でした。

しかし意気込んだのは最初だけ。結局、右往左往した挙句12月にホームページ作成ソフトを
購入、年末にバンコクに仕入れに行き、会社の備品のデジカメで商品の写真をとり、そして、
JETROの方に販売にあたり当局に申請・許可すべき商品があるかどうかを教えて頂いたり、
と・・・。

おかげさまでなんとか予定より1ヶ月ちょっと遅れで開業(2003年2月9日)となりました。

開店を急いだので、アクセスカウンターはついてないし(2003年6月15日から設置)、陳列の
しかたが決まらない商品はあるし、店の名前のクロスロードを家族はクロスワードと間違えるし
・・・まぁ〜気長にがんばるとするか。To be continued.


あいさつ

これはタイ人から聞いた話。タイ人は友達にあったとき「(最近)なにして(どこで)遊んだ?」と
いい、中国系タイ人は「(最近)なに食べた?」とあいさつをかわすそうです。日本では「暑い
ですね」とか「今日はいい天気ですね」とかが、それにあたるのでしょうか。

人生を楽しむのが上手なタイ人らしいあいさつだなと思ったのですが、中国系タイ人の
あいさつは、単に食いしん坊でおいしい店があったら教えてほしいからか、中国大陸から裸一貫
で来て、食べ物に困り、お互いにちゃんと食事しているかを確認したことの名残りなのか、などと
思いをめぐらしました。

とある中国系タイ人にそのことを聞いてみたら、「そういうあいさつをする人がいるの?」と逆に
聞かれました。同時に、タイ人と中国系タイ人の違いがよくでていて面白いと感想をもらしてました。

日本人のあいさつが天候に関するのが多いのは、日本人の大多数が米をつくる農民だった
名残りでしょうか?

そのうち、「今日は株価が高くていい日ですね」とかのあいさつに変わったりして。 End


レオナルド・ダ・ヴィンチ

タイ人女性とコーヒータイムに雑談してた時、レオナルド・ダ・ヴィンチの話題になった。
どういう話の流れか忘れましたが、タイ人はダ・ヴィンチはフランス人だと言い出した。

私が知らないダ・ヴィンチがいるのかと思い、確認の意味で「モナ・リザを描いた人?」というと
彼女たちは「Yes」、「ルネッサンス時代の天才?」というと「Yes」、「科学者で博学で?」というと
「Yes」、でも「イタリア人?」というと、「いいえフランス人」とかえってくる。

確かレオナルド・ダ・ヴィンチの意味は「ヴィンチ(村)のレオナルドさん」といった意味で、
ヴィンチ村はイタリア北部の小さな村だったと記憶してました。

フランスで活躍していたことがあったのでしょうか?、それともルーブル美術館にモナ・リザが
展示されているのでフランス人と思い込んでいるのでしょうか?
ちなみに、その時雑談したタイ女性4人のうち1人(大卒)が知り合い何人かにTelし全員が
「レオナルド・ダ・ヴィンチはフランス人」と反応したそうです。

そういえば、古代インドのマハーバーラタやラーマーヤナの叙事詩について、クメール経由インド
からタイに来たのか?と聞いたら「タイオリジナル」って言ってました。多くのサンスクリット語を
タイ語に引用しているのに不思議な話だ。

なにやら日本とタイの間には異なった既成事実があるのかも。 Fin.


サンデーマーケット

今は昔(1992年頃)、女房殿が面白いところがあるというので行ってみたら、そこはサンデー
マーケット(別名:Weekend Market、タイ語:タラートチャトゥーチャック)であった。雑多なものが
ところせましと並び、奥はうす暗く、なにやら怪しい雰囲気を醸し出していた・・・まるで雑貨の
ラビリンス・・・無秩序・・・混乱・・・これぞ東南アジア・・・

一言でいうとタイ(というか東南アジア全体?)のエッセンス、つまり、無秩序の秩序、
整然とした混乱、庶民のパワーが凝縮した空間。

面白いものがいっぱい並んでいて興味深かったのですが、暑い上にペットコーナーや食品売り場
のにおいが鼻につき、せまい通路は市内の道路なみに渋滞している最悪の空間。
仕事でクタクタで、雑貨なんぞに興味がなかった当時は、とんでもないところに連れてこられた
と思い、ひと通り見て2時間足らずで撤収しました。

久しぶりに(2002年12月末)にいってみた。観光客の多さに仰天!当時は物好きな日本人と
ファラン(タイ語で白人の外国人こと)くらいしかいなかったのに・・・BTS(高架鉄道)ができて
行きやすくなったのだろう。以前は、確か13番のバス1本で、スクムヴィット通り(在タイ邦人が
多く居住している地域)から行けたが本数は少なかったかな。

中の迷路は健在で、あらかじめガイドブック付属の地図を拡大コピーし、方位磁石をもって
挑んだが、どうしても再度行けなかったお店が一軒あった。

今度行くときはGPSでも持って行こうか!    おわり


レストランにて

ふらっと1人で入った食堂での話。
ウエイトレスに料理を注文したが、料理がなかなか来ないので、○○を注文したけどまだ来ない
よ、と督促、その後、しばらくしても来ないので再度督促。その後、やれやれやっと来たか!と
思ったらなんと3皿も来てしまった。当然1皿しか注文してないので2皿は返品。ウエイトレスは
首をかしげながら厨房へ戻って行きました。

その後、背広を来たマネージャーらしき人からクレームがついたが、ことの次第を説明したら
そのマネージャーはおとなしく引き下がった。

どうやら、最初の注文で1皿、次に督促したのを新規の注文と勘違いで1皿、再度の督促を
さらに新規注文の1皿と勘違いしたらしい。そういえば、3回とも違うウエイトレスと話をした。

1人でカオパット(チャーハン)3人分も食べれると思っているのだろうか?私は関取ではない!

ごちそう様でした。

どっちがどっち(トイレ編)

タイ語でトイレのことをフォンナムといい、意味は水(の)部屋(フォンは部屋、ナムは水)とでも
訳すのでしょうか。日本語の厠の語源はもともと川家か川屋だったそうで、意外なところに
共通点があるようだ。

ちがうのは、日本では紙(昔はへらとか縄)を使うがタイ人は水を使う点でしょうか?さすが
フォンナムというだけあると思う。日本ではシャワートイレの普及が進んでいるが、タイでは99%
水洗(水で肛門を洗浄)です。ただ、水を入れた桶を右手に持ち左手で肛門を事後洗う。
小型のシャワーつきのトイレもあるが手洗いが主流ではないだろうか?

インドでは左手は不浄の手というがタイでも左手でむやみに他人に触れてはいけないとの
タブーがある。肛門を左手で洗うので不浄なのか不浄だから左手で洗うのか?
どっちがどっちなんだろう?   あ〜すっきりしない!

ちょっと怖い話

タイでは幽霊がよく出るらしい。タイ人は幽霊除けのため、みんなお守りを首にぶら下げたり
手首につけたりしている。当店には置いてないが「タイのお守り」といって置いてあります。
プラクルアンというのがそれです。

タイ駐在時代の話です。私の上司の運転手が駐車場でスタンバイしている間に亡くなって
しまいました。どうやら風邪をこじらせたのに無理に仕事してたらしいのです。

その後、私の運転手の奥さんが霊感が強い体質のようで、彼女によれば、わたしがアパート
に帰る途中、その亡くなった運転手が後部座席の私の横に座り私の運転手にお別れを言いに
来たとのこと。もちろん私には何も感じませんでした。

しかし、運転手が事務所のタイ人スタッフの前でその話をみんなにし、また、彼の奥さんが、
事務所に電話してきて、亡くなった運転手からのメッセージを恐山のイタコのように話したので、
事務所は騒然となりました(タイ語なのでなんといっているのかわからなかった。なんといって
いるのか教えて、と聞いても怖がって教えてくれなかった)。

即刻その運転手に奥さんの面倒をみるようにとの理由で、ひまを与えたのはいうまでもありません。

ご冥福をお祈りします。合掌。

タイ名物(1)

タイ名物数々あれど大洪水かクーデターのいずれかは駐在中に経験する2大名物という。
まず私は駐在1年目クーデター未遂を経験、92年の3月ころだったと思うが、怖い経験をしたわり
にははっきり記憶してないのがいい加減、ともかくバンコックは戒厳令がしかれ夜8時以降は外出
禁止となった。

政府と民主化を要求する勢力との対立の純粋な国内問題で日本人をはじめとする外国人には
関係のない政争なので油断をしていた。うっかり8時半ごろホテルの外にでてしまった、
そしたら警備の兵隊に銃を向けられ、「どこに行く」と聞かれ(指をさし)あそこのホテルに泊まって
いる今戻るところだ、といったら、「パスポートを見せろ」と言われたが、いまは持ってない、と返答。

最悪の事態を覚悟したが、あっさり、夜8:00以降は外出禁止であること等を説明され、速やかに
ホテルにもどるように言われ事なきを得た。銃を向けられるのはあれが最初で最後にしたい。

やれやれ・・・

タイ名物(2)

タイ名物数々あれど大洪水かクーデターのいずれかは駐在中に経験する2大名物という。
大といえるかどうかは分からないがひどい洪水も経験した。雨季と乾季の狭間はよく大雨が
降ります。満潮時に大雨が降るとバンコックの街中は大人のひざ上まで水が来ます。

当然自動車のマフラーは水中に没し、排気ガスがボコボコといって吐き出されます。信号で停車中
に反対車線の車が動き出すと、その波で車が船に乗っているようにゆれます。さすが、水の都 !
東洋のベニス ! ゆれ方が優雅でなんともいえません。運転手は気が気じゃないのかって?
いえいえ、慣れたもので普段通り表情がマイペンライ(気にしない)といった感じでした。

洪水の日にゴルフに行く、といったら「信じられない」といった顔をしてました。雨は上がっているし、
ハイウエーは高架か盛り土がされてるし、ゴルフ場は水はけが良いので大丈夫なのに・・・おわり

タイの街角で(1)

雑踏の中を歩いていると、この人は100%タイ族かなとか、タイ族でも北の方かとか、イサーン
(東北地方)かな、とか人間ウォッチングをしてしまう。

マレー系やインド系が混じってそうな顔の時は一人で勝手に移民の子と決め付け、どういう理由
でタイに渡り、どういう職業についたのだろう?とか、やっぱりお父さんがマレー系またはインド系
で、お母さんがタイ族だろう?とか想像してしまう。まぁ、それくらい顔のバリエーションが多いので
はないかと思います。

たまに日本人そっくりの中国系タイ人がいたり、チェンマイ・チェンライに行ったときは、ギリシャ
彫刻のように鼻筋が通ったホリの深いタイ人の男女を見かけた。アレクサンダー大王の遠征
部隊の生き残りがタイ北部まで到達したと考えると夢があるけど、きっとそれはないだろうな。

ちなみに私は東北出身ですが、九州出身といわれることがあります。蝦夷と熊襲は同じ種族
だったのだろうか?    終り


タイの街角で(2)

同じ米を食する民族として、タイ人がどんな米を食べているのに興味があった。
スーパーマーケットでは袋詰めになってて気がつかなかったが、米の量り売りをやってる店を
のぞいたら赤い(というより茶色)米があった。これが日本の赤飯のルーツなのだろうか?

そういえば、稲作の伝播ルートはコリア半島経由と南方からの2つのルートがあったと学校で
ならった気がする。南方ルートで赤い米が日本に持ち込まれ、何らかの理由で栽培がすたれ
たが、特別なときに赤い米を食べるという習慣だけが残ったのだろうか?

お酒とタバコを買いにでただけなのに・・・やっぱりタイはイマジネーションを刺激する何かが
あると思う。   終り

タイ語考(1)

タイ語理解のキーワードは声調(イントネーション)だと思います。

正直私はタイ語は上手ではありません。3年8ヶ月もいたのに下手です。
言い訳をさせてもらえるなら周りのタイ人はほとんど英語が話せたので、真剣にタイ語を
学ぶ必要がなかったのです。

ある日、タクシーでラマ4世通りからスクムウィット通りのランドマークホテルに行った。が、
タクシーの運転手に「ランドマークホテル」が通じない、タイ語で「チュアイパイロングレムランド
マーク(ランドマークホテルに行ってください)」といっても運転手はマイカオチャイ(分からない)の
連発。
しようがないので、この道をまっすぐいって左に曲がってアソーク通りに入りスクムウィット
通りを左折し、ソイ(小道)6と4の間の「ホテル」だよ、といっても運転手君はまだ理解できてない。

なんとか誘導してホテルに着いて、ここが「ランドマークホテルだ」といったら、ああ「ランドマーク
ホテルね」とのこと。

日本語表記では声調(イントネーション)が表現できないので、タイに行かれたことのない方には
ご理解が難しい話しかもしれませんが、「なぜ通じないのか?」という場面が多いように思います。
普段通じない場合はいろいろなイントネーションで話すとそのうち通じるのですが、その時は
全然だめで、いまだに理由はマイカオチャイ(理解できない)です。   おわり

タイ語考(2)

タイ語で日本・日本人のことをイープンまたはジープンといいます。太平洋戦争中の軍人が
「自分は」といったことからジープンになったらしい、という説もあります。

ジャパン(Japan)の語源になったマルコポーロの東方見聞録にでてくるジパングは、当時(元)は
日本の日を「にち」ではなく元日の「じつ」と発音してたことからきている、ということが何かの本に
書いてありました。
つまり、ジツポン→ジッポン→ジップン→ジープン→イープンと変化したのかな?

ということは、タイ人は中国人を経由して日本のことを知ったのだろうか?そういえば、タイ語の
数字は客家語に似ているし客家語は日本語にも似ている(以下参照):

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
タイ語 ヌン ソーン サーム スィー ハー ホック チェット ベーッ(ト) ガオ スィップ
客家語 イッ ニー サーム シー ウン ロック チット パット キィゥー サップ
日本語 イチ サン ロク シチ ハチ キュー ジュー
*参考:「客家」講談社現代新書


終り

タイの中の外国人(華人編)

他の大都市同様バンコックにもヤワラー(ト)という中華街があります。いつ行っても活気にあふれた
街で元気をもらえます。

他の東南アジアの国々のような現地住民との軋轢もあまりなく、スムーズに同化が進んだそうです。
東南アジア唯一独立を保っていたため外国人に対する強烈なナショナリズムが生まれなかったのが
その原因と、とある書籍に載ってましたが、王族に敬意を表したりタイ人のようにふるまえば、
外国人でも気にしないタイ人の寛容さの表れでもあると思います。

タイの人口における華人の比率は約10%、その内大部分が広東系潮州人が占めるそうです(トンブリに
首都を置いたピア タクシンが潮州系華人だったその影響)。

王族系企業のサイアムセメントを除く大企業の多くがが華人資本であり、歴代首相も華人系が
多いことからタイの政治・経済を10%の華人がコントロールしている、といっても過言ではないでしょう。

他の国の華人は2世、3世になっても、現地語のほか中国語を話すそうですが、私の知っている限りでは
タイの華人2世、3世はタイ語しか出来ませんでした。
もともとタイ人と華人(広東人?)は相性が良いのでしょうか? 終り


タイの中の外国人(印僑編)

人口の多い国は住民を外国に押し出す圧力があるのでしょうか?それとも全人口に占める
海外流出比率が同じでも分母が大きい分だけ絶対数が多くなるのでしょうか?

中国に次ぐ人口を抱えるインドも同じのようで、バンコクにはインド人が大勢おります。
<中にはパキスタン人、バングラデッシュ人もいるのでしょうが乱暴ですがここでは
インド人とさせて頂きます>

拙い観察ですが、印僑達の職業は、医者、歯医者、服の仕立て屋などの技術を持った職業、
後は観光客相手のお土産屋などの商業が多いのではないかと思います。
あまりお世話になったことがないのでわかりませんが、弁護士、税理士、会計士なども多いかも
知れません。
おそらく、タイ以外でもそうであったように、外国籍の人は不動産の所有が禁止されているので
資格や技能を持った職業に就くのでしょう。

職業がら都市部で生活することになり、また、彼らを商売相手とするレストランも多くなるのだろう。
アメリカ、カナダを旅行したとき、大都市という都市には中華料理店、インド料理店がありました。
洋食に飽きてもラーメン、カレーはどこでも食べれて便利でした。  End

東南アジアとは

普段何気なく、タイとかその周辺を東南アジアと呼んでますが
、日本から見たら東南ではなく
南西だし、そういえば中国、朝鮮半島は東アジアで、日本は極東(Far east 東の果て)と・・・、
ヨーロッパから見た方位なのか?とれとも最初にアジアの真ん中を中央アジアとし、そこから
東西南北と振り当てたのだろうか?
でも中近東っていう言い方があるので、やっぱりヨーロッパ目線で名付けられたような気がする。
今度タイ人に自分たちのエリアをどう呼んでいるのか、東南アジアか南西アジア、聞いてみよう。
いくら自己中民族といえ中央アジアとは呼んでないだろう。  おわり

タンブン(お布施)について

タイのちょっと大きな寺院では生きた鳥や魚を売ってます。もちろん殺生になるので食べるため
ではありません。逃がしてあげて徳を積むためだそうです。

まぁ、確かに逃がしてあげた人は功徳を積んだことになるのでしょうが、その鳥や魚を捕まえた人は
不徳を行ったことになり、世の中としては徳と不徳でプラスマイナスゼロでチャラにならないだろうか?
まさか鳥や魚を捕まえた人は逃がしてあげた人に対し「徳を積ませてあげた」から自分も間接的に
徳を積んだと思って・・・ない、と信じたい。

ベジタリアンでない限り、逃がしてあげた鳥や魚よりも、お腹に入れた方が圧倒的に多いはず。
仏様の前でいい子ぶってもしょうがないような気がするが、しないよりはいいのだろう。  終り

屋台(1)

バンコク中心街の歩道は結構広いのだが、屋台が所狭しと並んでいて歩きにくい。
これが独特の雰囲気を醸し出している街の必須アイテムと思う。
以前(80年代後半〜90年全般)は売り子さんがベラボーな金額をオファーしてきて交渉にも時間が
かかったが最近ではおとなしいような気がする。言い値の半分で買おうとすると、呆れ顔で
「ロットレーオ(もう引いてある)」と言われる。
タイの金銭感覚になれた長期滞在外国人が多くなったせいか、観光客に対する印象を良くしよう
ということなのかは不明。
買い物しやすくなったような気がするが、ゲーム感覚がなくなってつまらない。 終り

屋台(2)

タイ人はいつも何か食べていると思う。オフィス街では昼食時間に客が殺到するが、それ以外では
食事時であるかどうかに関係なく常に客がいる。少量を回数取った方が暑い国では健康にいいの
かもしれない。

屋台は当然個人営業の店で、確か正式な路上営業の許可をもらっているわけでなく「黙認」だった
と思う。しかしながら毎週水曜日は一斉に全店定休日になっているのが不思議だし、閉店したあとは
店の周りは綺麗に掃除し撤収する、完璧なまでに統制?がとれている。

バンコック市は王様直轄地と聞いたことがある、タイ人にとって綺麗にして撤収するのは当然
なのだろうが、夏祭りの出店の様子と比較すると、タイ人のモラルの方が上かも。  終り

どっちがどっち(英語編)

日本人は英語が苦手というが、中学で3年、高校で3年、計6年勉強し、途中受験も経験している。
それに私は大学で4年間勉強し、企業に就職してからも勉強を続けてました。

ある時、インドのデリーからバンコクに立ち寄る出張者をドンムアン国際空港に向かえにいくことに
なった。インドからのフライトはいつも遅れるので、事前に空港に電話し、「Please tell me flight
schedule of flight No. AI○○○?」と質問したら「Please speak English」と
言われた。

えー、えー、どうせ私は英語が下手ですよ、悪かったですねー、と思わず逆切れしてしまい、
「I am speaking English ! Why you can not understand my English ? Change to your boss !」
つまり、簡単に言うと「俺は英語でしゃべってんだー!なんでわかんねえんだよー!お前の
上司に電話を代われー!、と啖呵を切ってしまった。

頭が真っ白くなった私はこの後の記憶がなく、気がついたら予定より4時間遅れで到着するという
ことは分かり用は足した。

電話の受付嬢と二度と話をすることもなく、ましてや会うことはありませんでした。
でもタイ人の前でこのように「ブチ切れ、感情を顕わにする」ことは「人間が出来てない」と低い
評価を甘んじることになりますので皆さんお気をつけ下さい。

でも、私の英語が下手で通じなかったのか・・・、受付嬢の英語力が低かったのか・・・、
どっちがどっち?    終り


英語

一口に英語といっても、いろんな英語がある。もちろん英語、米語、オーストラリア英語、インドに行けば
インド英語といった風に、と先輩に教わった。

これはオーストラリアに行った時のことで、機内食をビーフにするか「ジャック」にするかスチュワーデスに
聞かれた。オーストラリアの仕事をしたことがあったので多少の発音の違いは知っているつもりだった。
<Todayの発音がTo dieに聞こえるのは有名>

発音の違いを考慮しても思い当たらないので「ジャック」って一体何?!とスチュワーデスに聞いたら、
変な質問するわね!って感じで、鳥の種類で・・・、そうにわとりみたいな・・・、と言われた瞬間、「ダック]
ですか?と聞き返したら、そうです「ジャック」です、と・・・     End

タイ名物(3)

タイ名物数々あれど交通渋滞は日本でも悪名が高いと思う。今では高架鉄道(BTS)や地下鉄が
開通したりでかなり緩和されたようだが'91年〜'95年当時はそれはもう・・・。

基本的に「道路」という発想ではなく「運河」の延長線で考えているのではないだろうか?
例えば「大きな道路」があるとすると、そこから自分家の前まで横道を引っ張ってくる、しかし、
その「大きな道路」と平行している道路にはつながらないから網の目のようにならない。つまり、
東京で例えれば、平行している国道246から世田谷通りに出るには環七か環八しか選択肢がない、
ということ。当然車は環七と環八に集中する、だから渋滞する。

それに加え、「我先に」という気持ちが強いので3車線に車が4台並び低スピードでデッドヒートしている。
要領の良い人は多少早いのだろうが、逆に全体としては整然と3車線に車が3台より遅いのでは
ないだろうか?

要領の良いもの(頭の良い者)は成功するがそれ以外のものは貧しいまま・・・、日本の渋滞は
整然とした渋滞で、みな同じように進んでいく。かたや貧富の差が大きい社会、かたや貧富の差が
小さい社会、渋滞の様子がそれぞれの社会の違いを映しているというのは言いすぎだろうか。


これ以上バンコクの渋滞について突っ込みたくはないが、せめて救急車くらいは優先させたらな、と
思う。一般の車と一緒に救急車が渋滞に引っかかって1分に1メートルしか進まないようでは、うかつに
病気にもなれない。   終り

タイ料理(1)

初めてトムヤムクンを食したとき、すっぱくて、温かいのに違和感を感じた。同じ感想を持った方も
多いのではないだろうか?

「すっぱいものは冷たいもの」という固定観念があり、それに加え、パクチーの香りの強烈さに脳みそが
情報処理に手間取り麻痺してしまった。

しかし、酸味はライムで毒消し(殺菌)、パクチーは胃の薬と、そして辛いのは食欲増進と、暑い国の
料理として利に適ったものである、という説明を受け、納得した。
それからは、タイに住むからには現地のものを食べるのが一番と思い、「おいしい」と自分に言い聞かせ
食べるようにした。

あとはご想像の通りトムヤムクンは言うまでもなく、パクチーをつまみに酒を呑むほど、タイ料理にはまって
しまった。

トムヤムクンが、ふかひれスープ、コンソメスープに並ぶ世界三大スープの一つということを知ったのは
その後のことでした。   続く

ちょっと怖い話(2)

土曜の午後の昼下がり、まだまだ明るい時間です。
ここはバンコックの中心、ラマW通りに面したチャー○イッサ△タワーの21階、窓からは遠くにナショナル
スタジアムが見え今日もいい天気。

とある会社に間借りをしていて、家主はお休み、広いフロアに私ひとり・・・
のはずなのだが、人がいる気配がする。トイレに行っている間にゴルフから戻った日本人かドライバーでも
いるのだろうと気にもしなかった。それより仕事を片付けるためパソコンに向かっていた。小一時間ほど
たっても話し声も帰る様子もない。私の机は一ヶ所しかない出入口の前なので、人の出入りはすぐに分かる。

何となく気になったので事務所中のすべての部屋を確認したが誰もいない。それより仕事が優先!

だが、時々観葉植物の葉がゆれる・・・そりゃ当然だエアコンの風だろう・・・でも、自動的に風向きが
変るような空調ではない・・・やはり見えないが誰かいる、それも2人くらい・・・?

で、怖くなってその日は帰宅したかって? いえいえ、違います、夜まで仕事をしてました。
何故って? 不思議と怖い気がしなかったし、それより上司の方が怖いですから・・・!  おわり

どっちがどっち(アメリカ編)

この経験をした方は結構多いのではないかと思いましたが書いちゃいます。
アメリカで車を運転すると、ウインカーを出そうとするとワイパーが動き、右折をすると反対車線に入って
しまい、信号のない交差点で左折をしようとすると、行っていいのかどうか対向車との間合いが上手く
とれないとか・・・
子供の頃、親からは、日本とアメリカはなんでもかんでも反対なんだよ!と、だって地球の裏側にあるから
などとまことしやかな話を聞いた。
スピード制限の標識があり、最高速度と思い走っていたら、後ろからあおられた、しばらくして運転に
慣れてきたらやけにスピードが遅いのに気がついた、まさか表示が最低走行速度だったとは・・・

Owari

変貌(1)

初めてタイの地に降り立ったのは今から19年前(1988年)。ドンムアン空港が改装されたすぐ後だった
(らしい)。急速な経済発展路線をひた走る寸前の頃であり、貨物船が当時バンコック港に入港するのに
一週間待ちという状態だった。
まだレムチャバン港がいつ開港できるか目処がたってなく、バンコックから車で4時間のところに
サタヒップ港という軍港があり、タイ政府もバンコック港がそのような状態なので商業利用を検討していて、
下見で行ってみた。と、長くなりましたが、これがタイの高速道路(バンナ−トラッドハイウェー)を通った
初めての体験だった。

高速道路とはいえ、ただの片道2車線の普通の道路で、緑の中を灰色の一本線があるだけ。時折、
道端にフルーツやカニの露店などがあるだけだった。
イースタンシーボード計画(シャム湾の東側を工業地帯にしようという計画)を知らなかった無知な私は、
「なんでこんな田舎に高速道路なんぞを造るんだろう、と不思議だった。そういえば明治時代に、丸の内に
東京駅をつくった当時は一面原っぱで、みんなは電車にきつねとたぬきを乗せるのか、と笑っていたそう
ですが、まさにそんな感じ。

駐在後(1991年から)、週に1回か2回はバンナートラッドハイウェーでバンパコン(バンコックから80km
付近)に通っていた。移動中は貴重な睡眠時間なのでいつも寝ていたが、たまに目が覚めると、新しく住宅
やらお店が建設中で、また、なにやら道路を拡張している様子だった。
1993年ころには片側3車線になり、1994年頃には、バンコックから30分圏内は道路の両側にはびっしり
ショッピングモールやら銀行やら映画館やらができていた。

続く。


タイの街角で(3)

2007年の正月にプーケットに行った時のこと。
家族と一緒にシーフードレストランで晩飯を食べることにした。
店先が魚屋みたいになっていて、好きな食材を買いコックさんに調理方法を注文する例のお店。
時間が早かったせいかお客は自分たちしたいなかったが、店のおやじが表に出て呼び込みを
始めた。
欧米の観光客が多かったのでおやじは、「ハロー」「チーパー(安い)」「OK」の3語だけで
あっという間に客席をうめてしまった。
もちろんおやじの明るいキャラクターや、ノリ、といった要素もあるのでが、じつに見事な営業
だった。
欧米の観光客を相手に、3語だけで会話を成り立たせる立ち回りは、とても稚拙な文章力では
表現ができません。
JRの駅前で「居酒屋のご利用はいかがですか・・・」みたいな事務的な客引きとは比べ物に
ならないくらいのパフォーマンスだった。
やっぱり商売は明るくやるのがいいのだろう。

終わり

変貌(2)

こんなことを書いたらタイ人はどう思うのだろうか?
これまで何度もクーデターや未遂はあったが、在タイ外国人・観光客には迷惑はかからなかった。
しかし最近の黄色いシャツと赤いシャツの争いは、国際会議を妨害したり、国際空港を封鎖したり、
局外者に迷惑をかけまくっている。
タイから日本に引き揚げて今年(2010年)ではや15年経ち、現地の空気がわからないが、タイ人の中で
何かが変わったのだろうか?
あえて海外メディアの目につくことを意図して行動しているような気がする。
このようなことをして政権を取っても、首謀者が政府高官になっている政権を諸外国は相手にすると
思っているのだろうか?

おわり

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